カトリック式葬儀ミサ

今日は祖母の葬儀ミサと告別式だった。
昨日と代わらず聖歌と聖書により淡々と進んでいく。
結婚式でもよく唄われる「いつくしみ深き」なんかも葬儀で使われるのだと
多少の驚きはありました。


しかし葬儀ミサを行った教会は生前祖母も通っていたらしいのだが
信者さんがボランティアとして葬儀関連の準備や実際の運営もものすごく
働いてくださるので我々親族はほとんどなにもせずに進んでいった。
お礼などをほんとに受け取らない。前例にないことはだめとかで
教会へのお礼も恐ろしく安いうえに、個人に対するお礼は絶対に受け取らないし、
両親もほとほと困り果て、最後は教会への寄付としたらしいが。
キリスト教の奉仕の精神が自然に現れていることに、親族一同観劇した次第で。


たしかにキリスト教の聖地ファティマなどいまだに信仰を求めて訪れる場所で感じた
信仰心の深さ、教えに対する忠実さというのは、僕ら日本人にはどうしても心底から
理解できるものではないなと思ってきた。
だから彼らの信仰の深さをうらやましく思う一方で自分には出来ないと思ってきた。
その思いは今また日本においても感じることになった。
いつの日か洗礼を受けるかもしれない。
そのときはなんちゃってクリスチャンにならないようにしたいと常に思う。


しかし、今回の葬儀ミサでは昔からの知り合いのおば様が来てくださり
祖父の時と変わらず、美しい声で歌われていたし、祖母や母へのいたわりを見ると
涙が止まらなかった。
そして、献花の時にうたわれたアメージンググレースはだめだった。涙とまらなくなる。
病室ではなきそうになると部屋を離れていたから、泣き過ぎなかったけど
教会では逃げ場がない。だめだ〜。多分中学校の卒業式以来のおお泣きした。
あの時は「グローリア」(モーツァルトのほう)と「大地讃頌」でおお泣きした。
やっぱり耳から聞こえる音楽ってのに駄目だ、泣かされる。