今日はテレビにもスポーツにも関係のない日記。

昨日夜に父からの携帯が鳴り、祖母の容態がいよいよとの連絡を受けた。
今週に入って母から毎日のように携帯メールで同様の状況を連絡されていたので
「今すぐ来い」と言われても、実はあまり気乗りしなかったのだが、
父も妹も滋賀に移動するとの事態だったので、悩んだ結果最終ののぞみにのって
滋賀に移動した。


7月の3連休にお見舞いに訪れた際も
なんだか孫だとわかっているような、勘違いしているような状況だったけれど
そんな状況でも祖母の感情を感じることが出来た。


日が変わり今日到着した時点で、祖母の息は苦しそうだったが、
まだ持ちそうな状況だった。既に意識はない。そこには生と死のはざまを行き来する
一人の人間がいるだけだった。


明け方、祖母は静かに息を引き取った。90歳の大往生。自分は部屋で睡眠をとっており
母からの携帯に気付き病室に移動した時には既に天国に召された後だった。
18年前祖父がなくなった際もお見舞いに行くと病室のカーテンは閉められており
本当に息を引き取る瞬間には立ち会っていない。
死の瞬間に立ち会うことがない運命なのかなとさえ思う。
生きている間に会える幸せを感じさせてくれつつ、死という悲しみの瞬間から
祖父母が遠ざけてくれたのだと思う。


数時間後に葬儀屋が到着してからは、なんだかバタバタして、その日のうちに通夜となった。
祖母は洗礼を受けていたクリスチャンだったのでカトリック式の通夜。
仏式と異なり、百合の花(聖ヨゼフの清さと愛の象徴)が多く、聖歌あふれるものだった。
参列者及び聖歌隊による歌と神父様らによる聖書の話などで淡々と進んでいった。


僕ら家族は教会に泊めていただき、長い長い一日を終えた